平素より弊社をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
創業者の 澁谷 浩 は終戦後の昭和26年、15年間勤務していた東京芝浦電気(株)(現在の東芝)を退職し、
故郷である石巻市の赤土山下(現在の穀町)で山下電機商会を開業しました。
当時、未だ水道が未整備だった農業集落地域では、女性や子供が川や”つるべ井戸”からの水汲みを日課として重労働に耐えていた時代です。
そこに着眼、浅井戸にポンプを取り付けての台所改善をアピールし、揚水ポンプと給水管を各住戸に取り付けして回りました。
当時のうたい文句では「”つるべ”から”ひねるとジャー”」、まさに井戸のつるべが蛇口に置き換わっていったわけです。
このように自転車で照明の電球を売りながら井戸ポンプを取り付けして歩いたのが弊社事業のはじまりです。
のちに昭和40年代にかけての日本が高度成長期の頃には、山下電機(穀町)と山下設備(田道町)として
それぞれ家電販売と住宅設備工事の2つの事業を営む会社となりました。
昭和50年代に入ると冷暖房を可能とする建築設備の高度化と市内の学校建物など公共施設の建替え需要が相まって
公共建築物の機械設備工事が事業の主軸を占めるようになります。
社屋を現在の中里の地に移して再スタートしたのもこの頃です。
昭和53年の宮城県沖地震、平成15年の宮城県北部地震、そして平成23年の東日本大震災と幾多の災害にみまわれます。
東日本大震災では将来を嘱望されていた大切な社員が津波の犠牲となり、社屋も水没してしまうなど多大な被害を受けました。
こうした幾多の苦難にも負けることなく、今日の営業状態までに至っているのは
お取引先の皆様はじめ普段から支えてくださっている協力業者様方のお陰であると深く感謝申し上げます。
この令和の世の中にあって建築設備業界もデジタルツールの活用による一層の業務効率化と施工技術の変革を求められています。
「会社の内側でなく外側へベクトルを向けて顧客目線に立ったサービスをしよう」という信念のもと、創業時の「ちょっとした仕事も丁寧に対応」する精神を大切にして社業の発展に努めていく所存です。また、人財育成と積極的な設備投資により建築設備の長寿命化を担う設備工事業者として永続性が担保される企業を目指していこうと考えております。
弊社は、これまでも今後も、お施主様、お取引先のゼネコン各社様、そして地域の皆様から日々のご指導とご鞭撻によって成長を持続してまいります。
今後も皆様とよりよい関係を構築させていただきますよう宜しくお願い申し上げます。
代表取締役 澁谷 浩司